八〇年代の後半の世界は低金利下で株価や不動産価格が急騰するバブルの時代を迎えましたが、中でもバブルが顕著だったのが日本です。日経平均株価は八九年十二月には三万八千円台まで上昇し、首都圏や近畿圏の地価はうなぎのぼりとなりました。日本の場合、公定歩合を八七年二月から八九年五月まで二年三ヵ月にわたって一・五%に据え置く低金利政策をとったことが、バブルを大きくしたことは間違いありません。九〇年代の日本はバブル崩壊に伴う不良債権の発生やバランスシートの悪化などに苦しんでおり、いまだに後遺症から脱し切っているとはいえません。日経平均は九五年七月に一時、一万四千円台に下落し、商業地を中心に地価は下げ続けています。八六年十一月に景気回復に転じた日本は、八〇年代を通じて好景気を謳歌しました。にもかかわらず、低金利政策を続けたのは、ほかでもありません。八七年二月のルーブル合意で申し合わせた、為替相場の安定を最重点に置いた国内政策をとったからです。まず、月高による諭出企業刀屎算悪化がもたらすデフレ圧力を緩和するために低金利政策をとりだしました。日銀が金融引き締めを模索し始めたところヘ、八七年十月にブラックマンデー(世界的な株価暴落)が襲いました。西ドイツ(当時)が低金利の是正を図り、米国と衝突したことが、ブラックマンデーの直接の原因ですが、それ以後各国の政策当局はドルの暴落に神経を使うようになりました。